日本史名詞解釋3

 

一の谷の戦い

11842月摂津一の谷(神戸市)での源平の合戦。83年京都を落ちた平氏は、西海で陣を立て直し摂津福原に進出。生田・一の谷に陣を構えたが、源範頼・義経軍に敗れ四国に敗走した。

本領安堵

鎌倉時代から室町時代の初めにかけて、将軍が自分に忠誠を誓った武士に対して父祖伝来の所領の所有権を認め、保障したこと。

大田文(おおたぶみ)

鎌倉時代、一国ごとに国内の田畑の面積・領有関係などを調査・記録した土地台帳。

宝治合戦(ほうじかっせん)

北条氏が三浦氏を破った合戦。1247年(宝治1年)執権北条時頼は、鎌倉幕府創業以来の大御家人で幕政にも重きをなしていた三浦氏の打倒をねらって挙兵。時頼の外戚安達景盛の援助で三浦泰村ら三浦一族を鎌倉で全滅させた。以後北条氏は独裁体制を確立。

永仁の徳政令

永仁5年(1297年)3月に鎌倉幕府が発布した徳政令。主な内容は、御家人所領を売買・質入することの禁止、質流れや売却された御家人所領の本来の持ち主(本主)への無償返却などが定められた。

悪党

夜討ち(ようち)・強盗の類として、鎌倉幕府の禁圧の対象となった武装集団。鎌倉中期以降、畿内近国、特に流通路周辺に多発。しばしば山僧、借上(かしあげ)と密接に関係し、農民を含むこともある。

得宗(とくそう)

徳宗とも書く。鎌倉時代、北条氏の宗家(当主)の名称。幕政上における北条氏の政治的権を確立した北条義時の法名に由来。

大犯三箇条(だいぼんさんかじょう)

鎌倉・室町時代の各国守護の主要な職権。御家人の大番役催促・謀反人・殺害人の追捕の3カ条をいう。

勘合貿易

室町時代に行われた日本と明国間の貿易。1401-1549(応永8・天文18)間に19回。日本国王が明皇帝に朝貢する形式を取り、1404以後は明から交付された勘合符を携帯する勘合船に限られた。

 

 

町衆

室町・戦国時代、町単位に集団的自治生活を営んだ都市居住民。特に京都の町衆は有名。土倉(どそう)・酒屋などの商工業者が中心で、民衆芸能の担い手としても、独特の庶民文化を生んだ。

国人

南北朝から室町時代にかけての在地領主の呼称、およびその連合組織。在地領主を国人ともいう。鎌倉幕府の滅亡とともに従来孤立していた在地領主は、封鎖的な荘園制のわくを破り、地域的な連合を形成、守護などの上からの組織化に対抗。

一向宗

浄土教系の仏教宗派名。開祖親鸞が師法然の教義「浄土真宗」を発展させ、宗派名とした。

石山合戦

石山本願寺・一向一揆と織田信長との11年にわたる戦争。上洛した信長から銭5000貫と大坂退去を要求された本願寺法主顕如は、1570年諸国の坊主・門徒へ法敵打倒の蜂起を命じた。

作合(さくあい)

中世、領主以外の者が直接生産農民に行った中間榨取。

 

 

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