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高床倉庫

弥生集落には掘立柱高床倉庫が出現する。5世紀には集落と離れて棟を並べて群在する大倉庫群が近畿中央部にみられ、これは国家レベルの倉庫であろう。

「五経博士」

儒教を講じる学者。五経は「易経」・「書経」・「詩経」・「礼記(らいき)」・「春秋」のこと。前漢の武帝がおいたことに始まる。

八色の姓(やくさのかばね)

天武天皇が684年に整理再編した8種の姓。真人(まひと)を第1として、以下は朝臣(あそん)等に分けた。

公地公民制

大化改新で採用された土地・人民の私的所有を否認する制度。すべての土地・人民は朝廷に属するとし、屯倉、田荘などを廃止して班田収授法を実施し、品部、部曲などの私有民を公民とした。大宝律令の施行によって公地公民制が確立したとされる。

大宝律令

古代の基本法。757年の養老律令の施行まで実施された。

7世紀後半以来の日本古代の律令法制定が大宝律令にいたって、基本的に完成したとされる

蓄銭叙位令

711(和銅4)に施行された銭貨流通促進のための政策。銭貨を蓄えた者に位階をあたえるもので、一定量の銭貨に政府への納入に対し一定の位階をあたえた。

三世一身法(さんぜいっしんのほう)(723

723年施行の田地開墾奨励法。開墾の際し、灌漑施設を新設した場合は三世(本人・子・孫か、子・孫・曾孫の3代)、旧来の施設を利用した場合は本人1代の所有権を認めた。

長屋王の変(729

左大臣長屋王を自害させた事件。王は、国家を傾けようとしていると密告され、尋問直後、妻の吉備内親王、子の膳夫(かしわで)・桑田王ら4王とともに自殺した。

墾田永年私財法(743

743年に発布された土地法。位階による開墾面積の制限などを条件に、墾田の永世私有を許したもの。三世一身の法を大幅に推進したもので、これによって公地公民の大原則が崩れ、社寺・貴族による大土地所有が活発し、荘園制成立の要因となった。

百万町歩(ひゃくまんちょうぶ)開墾計画

722(養老6)に出された。農業を奨励し良田100万町を開墾しようとする法令。開墾には百姓を10日間使役し、食料を支給した。また、荒野を開墾し雑穀栽培も勧めた。

藤原種継暗殺事件

古代の暗殺事件の一つ。785(延暦4)大伴(おおとも)・佐伯(さえき)氏らが皇太子早良(さわら)親王を巻き込み、長岡京遷都を強行した藤原種継を除こうとはかり、大伴継人(つぐひと)らが射殺した。

薬子(くすこ)の変

810年に起こった宮廷内の抗争事件。平城天皇の寵厚く、権勢の座にあった藤原薬子が天皇の退位後、兄仲成とともに再度実権を握ろうとして起こした事件。

延喜の荘園整理令

平安後期、荘園の増加を抑制するために政府の行った施策。そのための法令を荘園整理令という。醍醐天皇の治世下、藤原時平を首班とする政府が902年に発した延喜の荘園整理令が最初である。

承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱

平安時代の承平・天慶年間(931-947)におこった平将門(たいらのまさかど)の乱藤原純友(すみとも)の乱のこと。

平将門(たいらのまさかど)の乱

平安中期、関東に起こった内乱。平将門は、939年常陸・下野・上野の国府を占領、一時関東を支配下において新皇を称したが、940年平貞盛・藤原秀郷らに討たれた。

藤原純友(すみとも)の乱

承平年間(931933)に活動した海賊を平定した前伊予じょう(いよのじょう)藤原純友は伊予に土着したが、939(天慶2年)備前介(すけ)藤原子高(さねたか)に圧迫された藤原文元の支援要請を機に、海賊平定時の恩賞を政府に要求して蜂起した。

公営田(くえいでん)

律令体制の弛緩に対処しえ財源を確保するためにとられた国営の田制。班田農民の徭役労働で耕作し、農民の調・庸を」免除するかわりに全収穫を国家におさめた。

検田使

律令制で、徴税の正確を期するため、中央から諸国に、また国衙(こくが)から郡に検田に派遣した使。

記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)

令外官(りょうげのかん)の一つ。1069年後三条天皇が設けた荘園整理事業のたもの役所。天皇の死後消滅するが、のち白河上皇や源頼朝らが性格・機能の変化した記録所を設置。

 

 

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