我們從這一個事件認知到一個人的無知和無心竟然造成這麼重大的後果,再也不能忽視我們生活中的種種危機了。
包含活動主辦單位,相信很多人對塵爆沒有甚麼觀念,我自己也僅知密閉的空間裡容易造成爆炸,沒有想到像游泳池這樣的半封閉空間也會產生如此大的後果。有些工作人員甚至在災難發生的時候,一時緊張或對處理危機沒有概念,竟然對著火源再次噴灑玉米粉,讓災難變得更難以處裡。

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私が担当する授業ではすべて学生に作文を書かせる項目を設けている。そうすると、五十人の学生がいるとすると、五十通り以上の間違い方をするのを見かける。これらの間違いはいわゆる「文法の誤用」である。平均一篇の宿題に十箇所以上の間違いがあるとすると、一クラスで五百以上の誤用が見つかる計算だ。文法上の間違いを見つけるのはそう難しくないが、問題はいかにこれらを学生が理解できる範囲で、易しく説明するかである。尚、それよりもっと重要なのは、どうやって教えれば、同じ間違いを今後二度と犯さないかだ。誤用を見つけ、その誤用を上手く利用し、学生の更なるスキルアップにつながるかどうかが日本語教師の腕前を見分ける目安でもあると僕は思う。


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有一些人反對大學學費調漲,這一點從人性面是可以理解的,因為除了校方,相信沒有人希望學費上漲。就像餐廳漲價,除了老闆以外,就連員工也不一定贊成,除非漲價後他們的薪水也提升。問題是,我們反對學費上漲的理由是甚麼。如果以目前的學費可以提供學校正常發展,教師的待遇也能維持合理等等,那麼反對的理由是可以充分理解和支持。但是如果不是,那麼為何不能讓各校依據各自狀況,分別提出校方認為的合理漲幅。其實國內的學費比起其他很多先進國家,已經算是低廉了。我們期待國內大學水準能夠追上世界,投入更多的經費在設備或師資上,或至少接近他國,卻又以如此的學費期待這些,似乎是不可能的。大學學費所以無法像其他行業一樣可以任意調漲,其主要原因是餐廳是自由競爭,這一家漲價不合理,我們消費者不去這家,換成別家就可以。大學就不是如此,一旦進入某校,至少四年都必須接受校方所訂的學費標準。就是因為大學這個行業不全然是自由競爭的行業,所以才會吵了好幾年,仍然無法達到大家滿意的結果。難道大學學校要永遠維持目前的費用嗎?


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  • May 29 Fri 2015 17:42
  • 試譯

第一段是日文原文,第二段是譯者翻譯,而第三段就是我翻譯的內容。

1思い込みとは、恐ろしいものである。私にとってリリー・フランキーとは理想の男であった。

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最近気が付いたのは、われわれ教師は知らないうちに、授業中に文法をある種の学問如く学生たちに教え、多くの時間を細かい説明にまで費やしている。学生たちは授業で得た文法知識を覚え、日本語検定試験で幾つかの選択肢から正しい解答を選ぶことができるようになり、それによって得た点数が自分の実力だと思い込み、一級資格所得者の中でも自分は上級の日本語ができる学習者だと信じ込む人もいるであろう。今後の授業ではアウトプットの時間を更に多く設けて、書く練習を増やし、文法知識を実践作業に応用していけば、本当の「一級資格を持った上級日本語者」が多く養成されてくるであろう。


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當我們遇到身邊的人早死,我們會隨著走過來的人生體驗,而會產生不同的感想。有的人會認為既然人生很難預料何時會死,那麼何必那麼斤斤計較眼前的現況,好好享受人生。或許另外一些人則有不同的感想,認為既然不知道何時離開世界,那就努力把握現狀,不要浪費任何一分一秒的時間。在得知妹妹罹癌前,我從來就沒想過他會比我先離開這個世界。看她的婚姻狀況以及個性,應該是平平順順度過這個人生。然而事實卻不是如此,妹妹在去世的前一刻仍然相信她能克服困難,繼續過著她原本平平凡凡的人生。直到今天妹妹過世也將近七個星期了,我體驗認到一個人所能掌握的東西是何等的有限。人世間的各種宗教讓人類了解到,活在這個地球上的人類是如此的渺小,我們必須時時刻刻保持謙卑,不知何時的將來,不管你是世界首富或乞丐,任何人都得面對死亡的來臨。如果我們能夠充分體會到每一個人的生命是有它的終點,但是人類的可能性是無窮的話,相信我們就不會那麼的恐懼死亡的來臨,珍惜所見到的一切,努力發掘所有的可能性。


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僕はあるグループでよく日本語学習者がある文法項目に関しての質問を提出するのを見かける。質問の内容は多岐多様で、なかなか細かくて面白い問題も時々見かける。はっきり言って一部の問題は文法書にも載ってないほどだ。日本語を勉強する者として、文法書を一冊でも買って、何かの問題にぶつかった時、初めて参考書を調べるのが最も手っ取り早く、印象に残る方法だと僕は思う。普段一般の文法書にも載っていない問題に出会った場合、そういう問題は後回しにしてもいい感じさえする。さもなければ、グループの先生達は回答に追われて大変な気がする。当然、そのグループは日本語の学習で問題に出会った学習者のために作られたようなので、毎日多くの質問が寄せられるのも当たり前だが、いい文法書を探して読むのも楽しい。日本語を教える立場におかれている日本語教師はいかに文法をわかりやすく説明するかが日常求められている。しかし、日本語コミュニケーション能力と文法知識の関係はどれだけ密接かは再認識する必要があると思う。現に就職市場で、日検一級資格取得者が面接の際、日本語が上手く話せず、落ちてしまったと言う話はよく聞くし、それと対照的に、サービス業界(とくに観光業)で文法的なミスはたまに犯すが、日本語のコミュニケーション力は抜群の人々も多く見てきた。我々教師は学生に文法を教える際、そういう現状を踏まえて授業を行うと、あらたな教授法が生まれるかもしれない。


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      柯文哲當上市長的一個好處就是,很多台北市民開始以事情的本質探討市政的品質。以往我們習慣以本身的政黨取向判斷市長的政策是否正確,如果是阿扁當政,則支持國民黨的市民絕少給予肯定,換成馬英九或郝龍斌當市長,同樣地,另外一群人也持全力批判的態度,而政黨取向和市長所屬政黨相同的市民,則又全力支持市長到底。
      到了今年柯文哲執政,由於他並不屬於任何政黨,相對於以往,比較多的市民可以針對市政本質探討施政效果,因此會有一個現象就是有些政策支持,卻對另外一些政策抱持反對立場。有的人從法律層面,有人從公平正義,不管支持柯文哲或不支持柯文哲,總是比期以往更能理性討論,不會一面倒支持或反對市政。

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DSC_0242_318x480  回憶妹妹  


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    我的妹妹呂淑芬,西元196233日出生於高雄市。幼小時,為了父親的求學,全家移居日本東京,後因某些因素,最後父母親做出困難的抉擇,將淑芬送回高雄祖父母家,因而將近六年的時間淑芬和家人分開生活。

    一直到淑芬八歲時,父親學成歸國後,再度和全家人團聚在一起,開始另一個階段的人生。這一段經驗帶給她很大的影響,其中包含她對子女的教育觀和職業選擇。

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